C96お疲れさまでした。
今回は新たにリストバンド導入や、会場の変更などで新しいコミケになったと思います。
個人の感想としては夏コミでのサークル参加は初めてで、サークルスペースでも非常に暑く、一般参加者と同等に熱中症対策の必要性を実感しました。
目次:
- 収支報告
- プロジェクトマネジメントについて
- 振り返り(KPT)
- (Try)表紙の件のお詫びと施策
- (Try)サークル主不在の施策
- (Try)プロジェクトマネジメントへの施策
新刊情報
くりくりすーがくれっすんの続編を執筆、頒布しました。タイトルは「くりくり学習帳 せきぶん」
前回では微分であったのに対して、今回は積分と確率をテーマとしました。
いりす@3日目お32a on Twitter: "明日のお品書きです! 既刊も持っていきます! よろしくおねがいします!!… "
いりす@3日目お32a on Twitter: "新刊の内容はこんな感じです!(なんか書いてたら40p超えてました…)… "
収支報告
支出:56600円
- 印刷費:6600円
- イラスト依頼費:50000円
イラスト依頼費内訳: 表紙・裏表紙:20000円, 漫画1p:10000円×2, SDキャラ2500円×4
収入:28500円
- 既刊売上:21000円
- 新刊売上:7500円
利益-28000円となりました。前回の冬コミが-70000円に対して、かなり利益の比が向上しております。
しかし、これは前回も言及しましたが、人月換算したら-100万なので、誤差の範囲です。
プロジェクトマネジメントについて
今回の新刊は、かなりギリギリでの印刷となってしまいました。
次のような工程となりました。
- 6/3~6/28: 勉強期間
超準解析によるリーマン積分の復習(Keislerのfoundations of infinitesimal calculusを利用)、ルベーグ積分の復習(吉田洋一の「ルべグ積分」)、確率論の復習(鶴見茂「確率論」、小谷眞一「積分と確率」、金森敬文「Pythonで学ぶ統計的機械学習」など)
- 7/8~7/12: 夏風邪で倒れる
- 7/12~26: 夏風邪の体調不良が継続
- 7/27~8/9: 執筆作業(約2週間)
- 8/10 キンコーズでコピー印刷、お品書きとポスターの作成
当初はニューラルネットワークの普遍定理の証明,XAI入門を描きたかったのですが、それ以前となってしまいました。非常に悔しいです…
もう一生このようなプロジェクトに従事したくないですし、発生させてはいけません。
これを歪な成功体験とせず、工程やインプットアウトプットのバランスの見直しをしていきたいと思います。
上手くいかなかった一因として私生活が変化したことがあると思いますが、自分で選んだ選択肢について、それを言い訳にするのもなんだかなぁと思うので詳細に言及致しません。自分の選択を受け入れて未来に向かいます。
振り返り
- keep
- 新刊を出せた。
- 全くマーケティングしなかったにも関わらず、新刊の売上が25部と好調だった
- 多くの人とお会いでき、色々なお話をすることができ、同人イベントの楽しさを再実感した。お越しいただいた皆様、本当にありがとうございます。
- 隣のサークル様とグレブナー基底の話で盛り上がった。
- problem
- ①表紙の件で皆様をお騒がせしてしまった。
- ②サークル主不在であり、フォロワーの方との挨拶や、せっかくの質問に答えられなかった。
- ②-1 席にいながらも答えられなかった質問があった。とくに超実数の位相と実数の一点コンパクト化についての関係を答えられなかった。
- ③プロジェクトマネジメントに失敗し、十分に表現したいものを表現できなかった。
- try: 下記に記載
①表紙の件についてのお詫びと施策
P: 表紙の件で皆様をお騒がせしてしまった。
新刊にて表紙を某ノートのパロディとしたことについて、商標の侵害に当たるのではないかと指摘をいただきました。
商標の件についてはサークル主も把握しており、以下の理由で問題ないと判断しました。
https://www.bengo4.com/c_1015/c_17/n_2019/
たとえデザインなどが似ていても、大きく『弁護士ドットコム学習帳』とあれば、…両者を混同するおそれはありません。こうした表示を『打ち消し表示』といいます。
…
もし混同されるおそれがないなら、…商標権侵害とならないと考えられます
また、本商標のノートに対して、頒布物は書籍であり、また、会場限定頒布(ネット販売はしない)のため、侵害回避の範疇だろうという判断で頒布を行いました。
しかし、本商標が取得された当時の背景は「軽率で悪質なパロディが溢れている」といった状況だったこと、パロディすることで他者に「軽率で悪質なパロディ」を教唆しかねないということ、同人即売会というグレーゾーンであることの想定が欠けておりました。
今回は私の考慮不足で、様々な方を混乱させてしまい申し訳ありませんでした。
今後の施策としては、次回からの頒布では、表紙ならびにタイトルを全て変更しての頒布とさせていただきます。
今回の件を受けて、これからは弊サークルのメンバーと知財の勉強会、知人弁護士に同人誌をレビュー頂くなどの対策を執りたいと考えております。
最後に、この度、本件について指摘下さった皆様へ、この場を借りて感謝の言葉を述べさせて頂きたいと思います。ご指摘いただき、誠にありがとうございました。
②サークル主不在に対する施策
P: サークル主不在であり、フォロワーの方との挨拶や、せっかくの質問に答えられなかった。
この件に関しては、二つの根本原因と対策案を考えました。
- 一つ目の原因:「数学について詳しい人間がサークル主一人であったこと」
売り子は知人を中心に選定し、数学について非専門の方(非専門の定義として、数学科の学部程度の知識を有していない方とします)が中心となっております。
そのため、次回からの対策として、売り子の方に数学について専門の方にお願いしたいと思います。
ただ、私の人望が薄くて数学の有識者が揃わない場合も考えられます。その場合は以下の根本原因を対策することで回避します。
- 二つ目の原因:「席を離れるタイミングが周知されない」
この件に対しては、「事前に在席スケジュールを公開する」ことで対策を行います。
この施策で以下のようにユースケースが変化することを期待してます。
試行前
サークル主「人混みが空いてきたから一端席を離れよう。離れる旨をSNSに記載して席を離れます。」
サークル主に挨拶する方「伺ったがサークル主に会えなかった。電波が混雑し、またSNSをチェックすることが難しかったから、離席中であること確認できなかった…」
施行後
サークル主「在席スケジュールの時間になったから離席しよう」
サークル主に挨拶する方「○○さんに挨拶に行こう。しかし、現在は離席中だとスケジュールに書いてあったので、席に戻る△△時に伺おう」
②-1 席にいながらも答えられなかった質問があった
これに関しては逐次twitterで解答を用意します。
また、次回作にQAの項目を用意いたします。
③プロジェクトマネジメントに対する施策と今後の展望
P: プロジェクトマネジメントに失敗し、十分に表現したいものを表現できなかった。
この件に関しては弊サークルの創作を見直そうと考えました。
現在はある納期が決まったプロジェクトであり、それに向けて原稿を作成するというプロセスとなっております。
一方で、私の活動の仕方で、イベントでのアウトプット以外はしなくなってしまったという現状があります。
そこで元来自分が同人活動でどのようなことを実現したかったかを思い起こします。
自分は、少女への愛と、数学の楽しみを人々に伝えたい、自分で筆をとり、少女たちが数学に出会い、少女の純粋な眼差しで世界の面白さを写し、描きたいと感じておりました。その考えは創作活動を始めた3年前より変化なく存立しています。そのために私は絵を学び、社会人になっても数学を学び続けておりました。
しかし、実際の私のアウトプットといえば、自分が当初目的であった、絵を描いて数学創作をすることに届かず、そして惰性で創作を続けているような、手段が目的になっているのではないかという方向性の乖離を実感しました。
以下は芥川龍之介の「芸術その他」(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/4273_6753.html) からの引用です。
樹の枝にゐる一匹の毛虫は、気温、天候、鳥類等の敵の為に、絶えず生命の危険に迫られてゐる。芸術家もその生命を保つて行く為に、この毛虫の通りの危険を
凌 がなければならぬ。就中 恐る可きものは停滞だ。いや、芸術の境に停滞と云ふ事はない。進歩しなければ必退歩するのだ。芸術家が退歩する時、常に一種の自動作用が始まる。と云ふ意味は、同じやうな作品ばかり書く事だ。自動作用が始まつたら、それは芸術家としての死に瀕したものと思はなければならぬ。僕自身「龍」を書いた時は、明にこの種の死に瀕してゐた。
創作に対する感情の起伏が乏しくなっていると感じており、このままでは私は表現者として自動作用を迎えているのではないかと考えております。
また、以下は中井正一の「美学入門」(https://www.aozora.gr.jp/cards/001166/files/43877_56097.html) からの引用です。
せんだって、ある音楽家に、国会図書館で、ヴァイオリンを弾いてもらった時「ちょうど、出演する十分前に館に着くように車を寄こしてくれないか」と、その音楽家のお母さんがいわれるのである。二十分も緊張して待っていては固くなるし、またいってすぐでは、心構えが整わないという意味なのであろう。これを聞いて、深い芸への真剣さにうたれたのであるが、自分の日常を顧みて、この真剣さなくしては、生きているとはいえない、ほんとうの生きている自分を探し求めて、生きているとはいえないと深い感動をうけたのである。
この探し求めることの自由、そして探しえた時の「ああこれだ」といえる充ちたりたこころ、これがみんな、芸術家のもつ、自由へのもがきから生まれるのである。ほんとうの自分にめぐりあったという自由への闘いなのである。
この境地を、芸術の美しさを求める苦しみというのである。人々は、その芸を見、聞いて、その芸術家をうったものが自分に伝わり、また、芸にうたれるのである。
だから、能の芸術家にせよ、誰にせよ、まず自分の肉体、神経と闘っている。そしていつも、あのこころもちになってしまえば、あとは、あの自分にまかせて演奏すればよいのだという自分を、自分の中にもっているのである。しかし、その自分は、いつでも、人々の前に「カバン」から出すように、容易には見つかりはしない。時には、自分を自分の中に捕えようもなく、見失ってしまうこともあるのである。
それは、練習に練習を重ねることで、鍛練に鍛練をつみ重ねることでのみ、初めて宇宙の中に、ほんとうの自分にめぐりあうことができるのである。多くの人々は一度もほんとうの自分にめぐりあわずに死んでいっているのである。芸術家だけは、それも、ほんとうの、いい加減でない真の芸術家だけが、どんなに貧乏しても、ほんとうの自分にめぐりあって死んでいっているともいえるのである。
創作の本質とは、真善美であると私は考えております。正確に言えば、美が強く起因しているが、その因子として真と善があると考えております。
美を描くために、自身の精神に宿る真正さを正確に捉えなければならない、自身を偽り、欺瞞を塗り重ねた創作には美は宿らないと考えております。
そして、私の描きたかった世界は徐々に乖離していき、欺瞞を含んだ創作になっているのではないか、そうなってしまうのではないかと苦慮しました。
そして、私の苦慮は、そう簡単に解決できる問題ではないことは、明らかでした。
そして、自分自身に嘘をつかないためにはどうすればいいのか、考えました。
プロジェクトマネジメントでは方向性を見失わないために改善を短サイクルで回します。
参考: SQUARE ENIX OPEN CONFERENCE ゲーム開発プロジェクトマネジメント講座
http://www.jp.square-enix.com/tech/openconference/library/2011/dldata/PM/PM.pdf
これはトヨタ生産方式やリーン開発といった手法に色濃く受け継がれていますが、基本的な考えです。
そして、真なる価値を明らかにして、アイデアを創出し、実現する考え方のフレームワークとして「デザイン思考」というものがあります。
参考: IBM: Enterprise Design Thinking Field Guide
https://www.ibm.com/cloud/garage/content/field-guide/design-thinking-field-guide
参考: Google Re:work デザイン思考でイノベーションを生み出す
https://rework.withgoogle.com/jp/guides/design-thinking/steps/introduction/
今対策、これからの挑戦として、デザイン思考というフレームワークをインスパイアし、対象をユーザーの共感だけではなく自身にフォーカスし、適用できないかと考えました。
特に、「イベントでのアウトプット以外はしなくなってしまった」問題を解決するためにプロトタイプ開発のサイクルを回そうと考えております。
つまり、何かの指標を立て、イベントで一挙に出すのではなく、ブログやSNSで作品を小出しに発表します。単位としては1小節、1コラム程度の粒度で創作を公表するプロトタイプ、指標によるテストを行おうと考えております。
(気になるのは自身にフォーカスしたデザイン思考と自己啓発の違いはどこなのだろうかですね…)
これから自分がどのように進むかは分かりません。しかし、様々な表現、分野に挑戦していきたいと考えております。
最後に、芥川龍之介の戯作三昧( https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/37_14479.html )より、私の幾許か歩んだ時世の中で最も好きな一節を引用して、本記事は了とします。
この時彼の王者のやうな眼に映つてゐたものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして
毀誉 に煩はされる心などは、とうに眼底を払つて消えてしまつた。あるのは、唯不可思議な悦びである。或は恍惚たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧 の心境が味到されよう。どうして戯作者の厳 かな魂が理解されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残滓 を洗つて、まるで新しい鉱石のやうに、美しく作者の前に、輝いてゐるではないか。