久々にpixivに絵を投稿しました。
ダイワスカーレット pic.twitter.com/7bxADAz0Ja
— いりす (@irisuinwl) 2023年6月3日
この記事では絵を描いた時の気持ちの雑記と、絵をどのように描いたかについて言及します。
雑記
2017年以降、(現実が多忙になったこともあり)いまいち乗り気になれず、ずっと絵を描いてなかったのですが、最近また描きはじめました。
やはり絵を描くのはとても楽しいですね。
きっかけは2022年に拡散生成AIが流行り始めて、色々なサービスを触り、確かに良い感じの画像は出来上がるけど、なんか一歩足りないんだよな~と筆を握り始めたことです。
色々と試行錯誤していく中で、「自分自身が絵を描くという行為をどう捉えているのか、自分が描きたい情景を心の中で問いながら表現手法を以て、表現する」ということに価値を感じていることに、気が付きました。
2017年当時は、教本を読み、その方法に従うのみで、clipstudioの機能を十分に使えず、人体を描くのもとても難しく、その先にある背景を描き、絵全体に意図を込めるデザインするのも一苦労で、その大変さに心が折れて段々と描かなくなっていったように思います。
今は、3Dデッサン人形や3D素材、パース定規、自動彩色を始めとしたアルゴリズム、天球素材を始めとしたアセット素材などのツールを使うことで、自分が目指す表現に近づくための障壁を少しでも除けることがわかり、絵が楽しくなりました。
光の表現については、先述のパク・リノの本を参考にしました。直接光と関節光を意識して描いててめちゃめちゃ面白かったです。
理論を学ぶのも面白いですが、さらに理論を活かして自分が表現したいことに近づくことは、自分にとってすごく楽しいことなんだと思いました。
ここで、自分が絵を描く上で支えとしているルーミスの言葉を引用します。
基本的な心理や知識を基礎とする限り、立派な絵が描けるはずだ。…欲しい事実を見出すというよりも創造に身を任せていると、良い絵は出来なくなるものだ。
アーティストは、たとえカメラを信じていようとも、自分の視野がカメラより何倍も美しいと自覚するべきである。彼がその偉大な美しさを手に入れるとすれば、カメラが記録した細かすぎる細部に隷属するよりも、その細部と戦う必要がある。…このようにしてのみ、彼の作品は、機械が到達し得ない高みにまで登ることができるのだ。
from: Andrew Loomis, クリエイティブイラストレーション
自分自身がもつツールは使うが原理に基づき自分の心から渇望する表現に向かうことこそが美学であるという考えの根底には、かつて教本で読んだルーミスの言葉があるんだろうなと思いました。
長々と書きましたが、絵を描くのはめちゃめちゃ楽しいということです。
ふりかえり
この絵は良く描けたように思っています。
なぜ良く描けたと感じるのか、完成品に関してどのような意図を仕込んだのか、プロセスはどうしたのかを含めて振り返ってみます。
創造行為とデザインとは何かを考える
まず、作品を説明する前に、自分が行っている作るという行動をメタな構造で捉えます。
(自分が捉えた現象を我流で構造化しているので、私はこう考えているよ程度に思って欲しいです。こういう分野ってよく知らないので、専門家の助言と参考文献が欲しい)
我々が何かを作るうえで目的や入力情報で作品を作っていきます。
そして、目的は作品に継承されますが、その目的通りの結果を生むのかを評価することは観測によって決まると考えています。
デザインとは、アーティファクト生成プロセスにおいて、目的を設定し、実行計画を考えることを言います。
工学的観点を持つと、観測者が意図した効果(例えば、感情を生むなど)を生じさせているのかを評価することも大切であるので、見通しよく目的やインプットから行動、観測、効果と評価という枠組みに書いております。
この考えを念頭に作品にどのような目的を持たせて描いたのかを見ていきます。
(ちなみに、めちゃめちゃナレッジを推した構造化ですが、理論は完璧に世界を捉えているわけではないので、理論を理解していても手が動かせないと絵は描けません。上手い絵を描く暗黙知やスキルというのは確かに存在しています。)
絵に込めた効果
まずこの絵を描く段階で、どういう絵を描きたかったかというと、「ダスカ描きたい、夏のくっきりとした空気を感じさせる、麦わら帽子から漏れる光、光と色をバチバチに描いてダスカの可愛さを表現したいんだよな~」というところでした。
完成品にどのような効果を持たせているかを見ています。
視線
まずは、この絵の視線の動きから図示します。
視線の動きを考えることで、観測者がどのような観測体験を行うかを考えることができるため、大切です。
(視線の動きを考えるは多くの人が解説しているテクニックですが、自分はルーミスのクリエイティブイラストレーションやジャックハムの風景画の描き方で学びました)
大切なのは以下だと考えています
- 見せたいところに視線の動きを集中させるということ
- 絵全体で視線をループさせることで、見る人が絵をずっと見ていられるようにすること
- 物の仕組みによって視線の特徴が変わるということ
- 例えば、風になびく髪や雲は曲線的である、一方で人体は関節によって線の向きが変わる。胴体や腕は直線的、脊椎や手は関節が多いため曲線的(区分的な線分で曲線的に見せている)
バリュー
絵全体の濃淡をカラーレイヤーを上から塗りつぶしてみてみましょう。
色というのは明暗を持っています。青は暗くみえ、黄色は明るく見えます。そういった色相の明るさを含めた明暗をバリューと言います。
カラーレイヤーによって絵全体を濃淡の空間に射影することで、絵の効果、バランスを見ましょう。
バリューで見てみると、明暗のバランスが良い事がわかります。 - 顔が一番暗く、一番印象的となっています。 - 全体的に灰色なので白い雲が良いアクセントとなり、視線を生み出してます。 - 身体は明るい灰色であり、髪の暗い灰色と対照的です。 - 髪の暗い灰色が顔の暗い部分へと視線を生み出して、自然と顔に目がいく構図となっています。
プロセス
描いたプロセスをトレースしていきます。
大まかな流れ
- デッサン人形による構図の決定
- ラフ
- 線画
- 色も雑に塗っておく
- 下書き
- 線画
- ちゃんと色塗る
- あとは頑張る
一回目
デッサン人形を使って、良い感じにポーズを決めます。
ラフを書きます
(なんかファイティングポーズっぽくなってて微妙なんだよな…)
もうちょいちゃんと描いてみます。
線の参考とするためにNovelAIでの出力をみつつ暗黙知を深化させます。
どこを描き込むことで観測者にどういう視線を生み出し、作品にどういった効果を出せるのかという予測に使います。
(生成AIの容易に結果を出せるということは、ルーミスのいうところのサムネイルという結果の予測を精度よく行うのに便利なのではないかと感じた)
色々やって、
うーん……ここまで描いてすげーーーー微妙なことに気が付きました。
- 視点が遠くて、当初描こうと思っていた「麦わら帽子から漏れる光、光と色をバチバチに描いてダスカの可愛さを表現したい」を十分に表現できていない
- 人物が遠すぎて絵を魅力的に見せるパースが上手く使えない
- 総じて微妙な構図となっていると感じます。
例えば、自分の描いた結果を見ても、ゲームの立ち絵といった目的を持つならば良いかと思いますが、それが自分の求めている表現ではないです。
よって、今まで描いたものを捨てて描きなおします。
(今まで描きなおすというと抵抗感ある人もいるけど、今まで描いたものが無駄になるとは思えず、描きたい題材の知識は継承されるはずという気持ちでやりました)
2回目
デッサン人形の距離を近めにして、パースが分かりやすい構図で同様の過程を辿ります。
これだったら、自分の脳内にあるイメージを企図した絵を描けるじゃないかという期待をもち、この構図で描いていきます。
視線を導く構図としては悪くないと感じます。
そして、NovelAIからいくつか参考としての生成結果を出力してもらい、魅力的な要素を抽出します。
これらの魅力的に感じる要素を抽出して、絵に起こします(生成結果をそのまま使うのではなく、表現の効果を参考にして、自分が表現したいものを描く)
色々手を加えて、以下の絵を描きました。
さて、この絵、良くない点がいくつかあります。
- 雲の形が集約されすぎです。おにぎりみたい。
- 空の色およびグラデーションの濃淡がいかせていないように感じます。彩度をぶち上げつつ、グラデのバリューに濃淡を加えて、夏の空の爽やかさを演出しようと思います。
- 顔がよくないです。パースをかかっている顔のパーツのと、顔面のパーツ構成が崩れています。これは生成AIの結果やデッサン人形を上手く使えなく、可愛い顔の形を迷走してしまったように思います。
- 影の色が一色ですが、白いワンピースを色として面白みがありません。
これらを踏まえると、率直にいってあまり可愛くないように思いました。
ただ、これらの問題点を自分一人の技量では理解できなかったので、知り合いの絵を描く人にセカンドオピニオンとして指摘いただきました。
それらの指摘を全て修正して、自分の納得する絵を描いた結果、先述の絵を描くことが出来ました。
(これ言ったら元も子も無いだろって感じなんですが、やはり技量のある人間に論理的に説明して頂くのが一番有益に感じます。
人間最高、学ぶことが全てなんですよね)
トレードオフに立ち向かう
この絵を描いていて、麦わら帽子を描くか、ウマ娘で大切なウマミミを描くかという問題に出会いました。
ウマミミをみせつつ麦わら帽子を描くという解決策を取りましたが、かえって不自然になったと思っております(そういう嘘のつき方もあるという意見もある)
題材のトレードオフに悩まされるという体験に出会い面白く感じました。
ただ、麦わら帽子とダスカという主題にとらわれすぎて、例えば、「木下で涼やかな風に吹かれるスカーレットがこちらを流し見する。
木漏れ日の環境光と陰影で照らされており、青空とのバリューの比較によりスカーレットの魅力を描く」といったやりたいことを両立させる主題選びもできたはずです。
トレードオフが生じていることを認識する、解きたい課題は何かを把握する、方法に捉われないといった問題解決で考えることの大切さを絵を描くことでも理解しました。
なんだこれ仕事か?
まとめ
絵を描きました。
自分の求める表現に向かうことは、とても面白いことを再認識しました。
考えて描くのめちゃめちゃ面白くないですか?
自分自身の脳内が絵という媒体に反映させる過程すげー面白いと自分は感じましたし、そのための理論という道具を以てして描いていくというのがめちゃめちゃ面白いと思いました。
次は、パースをもっとゴリゴリ使って消失点が10個くらいあるような絵を描いてみたいですねぇ
補遺: 生成AIについて
文中用いた生成AIは、賛否が多いトピックですが、自身の問題認識は内閣府の下記資料に準拠して考えております。
すなわち、技術が人間の障壁を取り除き、人間社会に貢献すると同時に、抱えるリスクと社会的ゲインのトレードオフをクリアすべきという、問題は問題と切り分けて、共存すべきという考えです。
現行法では情報解析におけるデータ利用は問題ないとされていますが、その副次的効果は解決すべき課題は多く、技術を人間社会の健全な営み、および人間の能力拡張に寄与し、現状の社会を支えるアルゴリズムに整合する形で着地することを望んでいます。
「AIに仕事が奪われる」と叫ばれる昨今ですが、改めてルーミスの言葉を引用します:
アーティストは、たとえカメラを信じていようとも、自分の視野がカメラより何倍も美しいと自覚するべきである。彼がその偉大な美しさを手に入れるとすれば、カメラが記録した細かすぎる細部に隷属するよりも、その細部と戦う必要がある。…このようにしてのみ、彼の作品は、機械が到達し得ない高みにまで登ることができるのだ。
自分の考えとして、作品および(現代ではナレッジワーカーが主となる)人間のもつ知性と創造性の源流は、目的を持つ性質にあると思ってます。それを考えると、「AIに仕事が奪われる」という言葉は不適切で、「AIと共に仕事を変えていく」ということが正しい言葉のように感じています。
プロセスは時代と共に変容していくものでありつつも、プロセスを導くツール(ルーミスの言葉ではカメラですが、生成AIを始めとして今後発展する技術全般に言えると考えます)に隷属せず、自分の目と、目的に向かう意思を信じて欲しいです。
人間が社会を良くする精神を育み、技術が人間の営みを支援する発展を望みます。