自分の考え方を書こうと思う。
というのも、生きていく上で考えること・実行することがほぼ全てなんだけど、考え方という概念は広範すぎて、それを言及したりまとめられることは少ない。一方で明らかなアンチパターンはあるという構造化・体系化できる特徴を持っている。
基本的に実学におけるプラクティスには完全な解は無く(ベストプラクティスという言葉かなり限られた条件でしか考えられていない)、理論は一部の現象しか解明しておらず、
自分の中で知識と気づきと体験からナレッジを形式化することが必要となってくると感じているので、考え方を言語として残そうと思う。
まとめ
まとまんないけど、現象とその背後の構造を考えるのが大事というのをめちゃめちゃ長く書いた
HowとWhy
まあ、皆よく言ってるけど、How(手段)ではなくWhy(目的)を考えろと言われている。
Howを固定するとWhyを見失ってより最適な解決案を出せなくて、近視眼的で課題と合致しない解決案となってしまうという機序である。
しかし、大体アイデアのレベルで思い浮かぶのはHowであることが多い。
大切なのはWhyを考えるというか、ジャストアイデアがHowという属性を持ち、その上部にWhyがあるという構造を捉えることや、Howを思いついたことと、その根底にあるinsightにある課題感や自分がWhyをどのように捉えているかという関係構造があるということだろうか。
良いHowを思い浮かぶということは良いWhyを見れる目や洞察を持っている。
何らかのHowが思い浮かぶということはその根底に課題感を捉えている自分が居る。
その課題感を表層化させる行為がWhy - How関係構造である。
それらの対象を相互に左右させる構造が大切なのではないか。
構造を捉える(意味・解釈・言語・モデルから)
認識の齟齬がズレることは現実で多々あるし、そもそもメンタルモデルが異なってコミュニケーションが難しい場合もある。
その場合に、自分は数学のモデル・構造・解釈の系が思い浮かぶ。
モデルとは、対象とそこから記号操作で作られるものに対して解釈を与える構造に対して、ある性質を満たすものたちのことである。
(解釈と構造は数学の話を例に出したが、コンパイラの仕組みとしても同じようなことを行っているので、そちらの方が馴染み深い人は多いだろう)
http://www2.kobe-u.ac.jp/~kikyo/LogicSummerSchool2011/lectures/2011kobe_tsuboi.pdf
例えば、実数のモデルでは、数という記号と演算に対して実数の構造を写像することを解釈する様子と実数の公理を満たす対象を表す。
構造によって、何らかの言語(対象)に解釈を与えるということである。
我々は何かを捉える(解釈する)し、コミュニケーションを行うときにお互いの解釈をすり合わせて行う。
自分は〇〇と解釈したけどなぜだろう、相手は〇〇と解釈したけどなぜだろう、組織全体では○○と解釈されているが何故だろうと考えることが多いが、その際に、背後にある構造を捉えて、解釈という現象から構造のギャップを埋めるのことを行っている。
つまり、現象を導出する機序を捉えるように考えている。
コミュニケーションを例に出したが「よくわかんねえけど、なんか変なこと起きてるぞ!」というケースで現象を導出している構造を捉えるという点でもかなり役に立つ考え方だと思っている。
また、構造を記述する言語として、議論すべき対象、対象間の関係、性質を記述する自然言語、また性質の分類(それは要求なのか、機能なのか、制約なのか)をよく使う
抽象概念のパターンとして理論、記述言語としての方法論としての数学が使えるのではないかと考えている
自分はアマチュアだが、様々な現象のモデル化としても応用としても数学何より楽しいのでおすすめである
プラクティスについて
巨人の肩に乗るというが、プラクティスをそのまま使うのは良くないと言われる。そのままとらえると、よくわからない
プラクティスを闇雲に適用することはよくないと言われるが、それについて考える。
プラクティスをはじめとした法則には、適用するための前提とドメインが定められている。
優れた法則は幅広いドメインと少ない前提で適用できる(そのAtomicな法則群を真理と呼んだりするのだろう)。
例えば、なんらかのプロセスにおいて実施メンバーが特定人物であれば上手くいくというのであれば、それは悪いプラクティスであろうし、プラクティスというより単なる成功事例である。
プラクティス適用の構造を以下で仮定する:
何らかのプラクティスにおいて実施段階および実施の最中に前提・ドメインが合致することで、再現性が担保されているのであれば、期待した効果を得られるはずである
この考えを持たずに闇雲にプラクティスを試せば上手くいくだろうという思考は以下のメンタルモデルを持ってしまい、ギャップが生じる:
これはアンチパターンであるが、解消するため、プラクティス適用をする上で考えることは以下であろう:
- あるプラクティスについて、実施可能な前提は何か
- あるプラクティスについての再現性はあるか
- 前提から作用を通じて得られる効果までの間に再現されるであろう機序はあるのか?
- 数学で考えれば、仮定及び公理から得られる主張までの証明があることであろう
理論の性質
究極的な理論は存在しない。経営学が全ての企業活動の課題を解決するのであれば、我々は経営的な活動で苦しむことはとっくになくなっているはずである。
理論はたしかに広範な条件で現象を生み出す構造を明らかにするが、現実で起こりうる問題は極めて様々な条件が重なりあい、理論を適応できるほど行儀が良くない。
そのため、実学においては理論を継承して、条件に適応した形で構造を変えつつプラクティスを作ることが多い。
これは自分の感想であるが、ことに実学において考えることが大切だというのがこの記事の主題で、その考える上での構造を捉える理論こそが重要であると考えている。
一方で実用する上で理論と実用の不可逆性を理解しておくべきである。
すなわち、ある実用分野において、この世のすべての理論を理解したからと言って、実用ができるとは限らない性質を持っている; e.g. この世の全ての絵画を鑑賞し、全ての美術理論を理解したときに、全く絵を描いたことがない人間が、究極的な絵画を生み出すことは出来るか?
じゃあ、理論なんて意味ねーじゃんって思うかもだけど、この世の実用者のための理論がある以上その主張は反証される
では、理論というのものの恩恵は以下であろうと考えている:
- それまでその領域で発生した現象、問題を定式化する
- Polyaの問題解決を実行構造と捉えたとき、理解コンポーネントの実行を効率化させる
目的性
実用において、我々はある目的を定めて行動する。
目的には、欲求や要求などの根源的目的と、記述された目的(人間の認知から観測され記述された目的)などの様々な種類があると考える
- 例えば、「美味しいものが食べたい」、「(胃もたれしてるから油ものは食べたくないけど、さっぱりした)美味しいものが食べたい」、「ラーメンが食べたい」、「すげー疲れたからめちゃめちゃ味の濃いラーメンが食べたい」などである
- 記述された欲求は、過去から未来まで見通した神の視点から観測されるような根源的な欲求と一致しているとは限らない
目的を達成するための行動を考え、実施し、結果が目的と合致しているか、合致しなければ何故合致しないのか(過程の中でギャップがあったのか、目的を捉える精度が低かったのか)を考える。
そのため、目的は実用において、重要な性質と考える。
目的を考えて、実施する構造を捉えて実践した記事を以下に参照する:
目的はデザイン学においても重要となってくる。下記文献はここで記述した内容をデザインという観点で詳細に捉えていると感じる。
実行構造
人間の実行について最小の構造を考えると以下のようになるであろう:
認知と解釈をしながら実行する機構である(人間行動構造)。
行動構造を持った人間が複数集まり、組織や社会というダイナミクスを作っている。
そのダイナミクスを制御する上で、人間は自然言語により通信を行っている。
ダイナミクスの行動結果として、組織行動が生まれる。
我々は何かを実行する上で、組織(人間の集まり)現象を観測するが、その背後にある機序を見立てることを良く行う。
特に、ここであげた人間行動および組織の構造は何かを考える上で見通しよく解釈するのに使えている構造である。
(この構造のみを使えばいいのではなく、これスタートに色々肉付けして、観測した現象に何が起きているのかを構築していくのに使える)
参考文献
この考えに至ったきっかけになりそうな本たちをあげていく:
- 一般デザイン学
- 実践ソフトウェアエンジニアリング
- 活躍する圏論
- 情報科学における論理
- プリンストン数学大全