今回はアイドルマスターのVoy@gerと人生でぶち当たる壁について話そうと思った。
この記事はVoy@gerを見たら号泣してしまった勢いで書いたお気持ちです。
前置き
ふと、アイドルマスターと自分が出会った何かの関りについて何か書こうと思った。
自分は青春時代にアイマスに出会い、人生の1ピースとして大きく存在していると感じている(高校生のときにアイマス2に出会ってそこから現在まで)
自分は、アーケードからやってるわけではないし、常にアイマスを追い続けていると胸を張って言えないので、何かを語ることは烏滸がましいのかもしれないが
アイマスが自分の人生観にものすごい影響を与えており、人生の場面にアイマスが垣間見えることがあるので、それを表現しようと思った。
バベルの塔
組織が肥大化してくると、それぞれの共通言語が無いような状態になる。
次第にそれぞれの考えてくることがずれてきて、全員がベクトルがばらばらのように見えて、上手く何かを為せない状態になる。
恰も、巨大な塔を建設して言語がバラバラになって塔を作れなくなる、所謂バベルの塔のような状況に直面する。
バベルの塔は作れなくなったという寓喩だが、我々が直面する組織は持続可能なビジネスであり、作り続けなければならない。
自分は組織で直面するこの問題を勝手にバベルの塔問題と呼んでいる。
このような問題はどんな組織で働く上でも、人とコミュニケーションする以上、何かしらぶち当たる問題だと思う。
Voy@ger
2021年8月、アイドルマスターのMVとしてVoy@agerが公開された。
765AS, シンデレラガールズ、ミリオン、SideM, シャイニーカラーズのアイドルがPVに登場するという前代未聞のMVであり、クオリティも高く感動したことを覚えている。
2021年はアイドルマスターポップリンクスもリリースから始まり、スターリットシーズンまで、それぞれで展開していたアイマスブランドがコラボし、一つのアイマスとして価値を提供する動きをしていたと記憶している。
そのなかでVoy@gerという楽曲とMVが出てきたことは鮮明に記憶に残っている。
自分の好きな夏葉と冬優子がMVに出てたのがなんかもうここまで来たんだなとか、sideMも一つの作品として表現されたとかが脳裏に過って感極まって泣きそうになったのを思い出した(ボロボロ泣いてような気もする)
バベルの塔をどのように乗り越えるか
肥大化したバベルの塔作り続ける、言語がバラバラになったという状況をどのように乗り越えるのか、Voy@gerには示唆があると勝手に思ってる。
このMVの素晴らしいところの一つはビジョンを描くということである。
Voy@gerは未来に言及する歌詞、現実離れした演出、そして全てのアイドルマスターからアイドルが出演して全員が歌っている。
未来を私たちと進んでいこう、一緒に先へ進もう、未来は何があるか分からないけど一緒ならどこまでもいける、という言葉が登場する全てのアイドルから紡がれる。
つまり、アイドルマスターは全員でアイドルマスターである、全員でお前に価値を届けるというビジョンを示している。
そして、この作品には全員が活躍する場がある。個人のWhyがあり、One For Allであり、All For Allである。
必ず誰かが歌う場あるし、Interrudeで場面が変わりSideMの男性アイドルがラップをする場はこのMVで印象的な場面であろう。
それぞれがダンスのビジュアルで価値を出すし、歌という音でも価値を出している。
また、サビの部分では全員が歌って踊り、一つのアイドルマスターを演出している。
そして、Voy@gerはフラットである。
Voy@gerに出てくるアイドルは現実を忖度するとデビュー時期も異なるし、バックグラウンドも異なる。
しかし、実際にデュエットするときは何か固定されているわけではないし、全員は混ざっている。
春香が歌ったあとに颯が歌う場面はフラットさが如実に表れているだろう。
つまり
途中の冬優子の力強い歌声が最高でボロボロ泣いちゃった…
アイマスにおいて、アイドルが出演する作品は全員が輝いているし、結果としてプロフェッショナルとしての務めを全うする姿が描かれる。
しかし、アイマス作品においてプロデューサーはアイドルの葛藤に直面する。
様々なバックグラウンドや、現実に直面したアイドルの弱さ、それぞれの衝突。
問題に直面し、言語で殴り合いを通して、一つの彼女たちの進む方向(ビジョン)を示し、最高の作品をファンに提供する。
Voy@gerにはその問題を乗り越えて一つのビジョンを示す、鼓舞をする要素があると感じている。
アイマス最高